祭り

今日は地元のお祭りです。毎週近所の町毎に、小ぢんまりとしたお祭りがあるけれど、今日はまさに住所地のお祭りです。朝からノンビリとした小さな山車が町内を練り歩いています。お祭りとしては、ちょっと地味でキュートです。そお、私の田舎の祭りに比べるとキュートなんです。

私の田舎の祭りといえば「浜松祭り」です。ゴールデンウィーク3日間に開催されます。この祭りはデンジャラスです。泉州のお祭りに比べたら迫力に劣りますが、危険度で言えば同等以上かも?「浜松まつり」が危険な理由として、昼夜開催が挙げられます。

恐怖の浜松まつり

・昼は砂丘近くで凧揚げ祭り(畳2~10畳の大凧だよw)
祭り
出典元:http://www.mai-ca.net/picture/cat004/

・夜は街中で屋台引き回し(山車ではない)& 練り(ラッパ吹いて練り歩き)
祭り2
出典元:http://www.mai-ca.net/picture/cat004/

浜松まつりは、早朝から深夜まで開催されるお祭りです。寝る時間はどーすんだ?状態なのです。もちろん、祭り開催中は常時酒を飲んでいるので、酔っぱらいが迷惑な上に、ガンガン人が倒れます。こんなバカ騒ぎを3日間もやる上に、練習として、祭りの前1か月間は毎週末、町中を練り歩くんだぜ!?そりゃ、死んじゃう人も出るって!対策として、祭り参加者は「祭り保険」に強制加入します。

⇒ 何事もお金で解決っすよ。(◎・ω・)

DQN政令市

浜松祭りの最大の特徴「嫌らしさ」は、ビックリするほどの排他主義です。飛び入り参加は認めていますが、地元不参加の人間は目の敵にされます。不参加の理由が、平日休みしか取れないとか、参加費用が捻出できないとか、そんなの問答無用です。「祭りの日も休まないような、そんな仕事してちゃダメだら~?」とか、平気で言われますよ。「だったらテメーは一生、休日にコンビニとか行くなよ!」などと言い返してはいけません。

さらに、必要経費は年間何十万円も徴収されます。男の子(今は女の子も平等)なんか生まれた日には、百万円以上の金が吹っ飛びます。そして、これをやらない家庭は村八分!なのですわ。私の育った家は貧乏ちゃんだったので、祭りに参加することもなく他人事の3日間でした。

⇒ 浜松市は政令市になったけれど、中身は村の集まりですよ。他人と違うを絶対認めない保守的なクソ田舎ですぅ。それが浜松!(ホント悪い意味で田舎だわ!)

DQN一家

…ああでも、浜松祭りは一回だけ行った事があるよ!!夜の凧揚げ祭り会場にね…。夜の祭り会場は市街地で「練り」なのに、凧揚げ祭り会場に行きました。だって、夜店のジュースが飲み放題なんだもん。無人の会場で、私の一家は、無料ドリングバー(お持ち帰り有り)を堪能しました。あれは小学校2年5月の夜でした。(もう時効なので、許してね♪)

浜松市はDQN政令市だとか言いながら、私の一家はもっとDQNだったわ!
(ノ’口’)ノ ゴメンナサーイ!人生とは贖罪の日々だね♪

祭りを見かけると、いつも思うのですよ。フツーに参加できる家に生まれていたら、全く違う人生だっただろうね!と。と同時に「そんな人生、自分らしくねーわw」とも。
まあ、何が幸せなのかなんて、自分で決めちゃえばいいと思うのですわ。
(ノ’口’)ノ 思うのですわー!

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コメント

  1. ジャイアン より:

    浜松って「うなぎパイ」とかのイメージしかなかったけど、んな金のかかる土地柄だったのですか!
    びっくりですぅ〜!
    んなもん、私が生まれ育った家でもムリッスよ!
    超貧乏でしたもん。
    ま、あのころ、あの土地では、みんな貧乏でしたけどさ。
    ガキはみんな青っぱな垂らしてさ。
    その中でも、私の飢餓状態は群を抜いてましたよ。
    ガリッガリでした!
    40年代、地元に巨大製鉄所が建設され、それで漁業権の補償金をたんまりもらった成金続出!
    それでダメになった家庭が幾つもありますデス。
    金はなけりゃないで困るけど、ありすぎても困りますぅ。
    そういやオイラも、近所のブドウ畑に忍び込んで、盗み食いしてましたね。
    おふくろがアサリを掘ってくると、一週間、ずっとアサリ料理だったし。
    自然に取れる山の幸、海の幸のおかげで、命を繋げたような時代でしたねぇ。
    原題から考えると、想像もできない、まるで江戸時代か明治時代のような生活でしたよ。

  2. ぢるんぢるん より:

    「浜松まつり」は地域コミュニティの中心でした。それに参加する、しないは、結婚や就職問題にも関係します。今は他の地方の人も増えて、閉塞感は緩和されてきましたが、ちょっと前まではチョー嫌らしかったです。東海地方では「名古屋」が王様気分全開で、「浜松」は「プチ名古屋」と呼ばれています。
    私は逆に、ジャイアンさんの地元は凄く裕福な地域だと思ってました。穏やかな瀬戸内は、豊かな瀬戸内!だと勝手に思ってました。江戸や明治は意外に身近だったんですね!

  3. ジャイアン より:

    昭和30年代は、ホント、明治・大正時代とさして変わらない生活様式だったと思います。
    街角には施しを乞う、いわゆる「乞食」が、私が小学1年の頃までいましたよ。
    大きく変わったのは40年代に入ってから。
    いわゆる「太平洋ベルト地帯」と言われる、東海道から山陽道に至る一大コンビナート群の建設時代から、経済的には大きく変わりました。
    時同じくして九州の炭鉱は軒並み閉山。
    その労働者が新たな工業地帯の労働者として、大量に移住してきました。
    すると、それまで水呑み百姓だった地元貧乏人はアパート経営で大事主に大変身。
    地主 vs 移住者、という図式がありましたねぇ。
    東京周辺には東北地方から労働力が供給されましたが、山陽地方には九州から労働力が移動してきたんです。
    私は地元生まれですが、経済的には「移住者」のカテゴリー。
    特に小学1年までは「余所者扱い」を平気で行う閉鎖的な地域に住んでいて、辛かったですね。
    大人であれ子どもであれ、私をこぞって余所者扱いして蔑む人がいるんですもん。
    一部の人ではありましてけど、今でもその地域は酷いもんです。
    影に回ると、人目も憚らず平気な顔で陰口をたたき始めますからね。
    江戸時代の「村」意識、もしくはもっと昔の「村上水軍」時代からの閉鎖的な風土が、色濃く残されたいた地域でした。
    しかし私がこの前まで住んでいた島は違いました。
    積極的に大阪や海外に労働の場を求める人が多かったので、意外にも開放的な家庭が多いんです。
    この狭い地域内で、これだけ特性が違うなんて、不思議ですね。

  4. ぢるんぢるん より:

    今回いただいたコメントがないと、そういう歴史があったという事は知る由もないです。郷土史の教科書では、そこまで踏み込んで扱ってくれませんものね。今の社会は、そういった偏見や差別の上に成り立っているんですよね。こーゆーのを小学校で教えて欲しいですわ。
    そうそう!私は子供の頃、浜松市内でも何度か引っ越しをしました。最後に越したのは、小学校2年の時です。当時、「転校生」って言われました。それから今でも転校生です。もう、地元生まれじゃないと一生よそ者なんですよね。